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会津若松編

久方ぶりの会津若松市訪問。
前回はちょうど震災前の夏で、鶴ヶ城の瓦を黒から戊辰戦争時代の赤に張替え作業中で、お城全体が工事の養生幕に包まれ、幕にお城の外壁が描かれていた?記憶があります。
さて、水戸ICから郡山東ICを抜けるまではいつもと変わらぬ山あいの風景が続きますが、郡山市街地に近づくころには遠景に安達太良山、更に走りを進めると雪に覆われた磐梯山が見えてきます。
福島市の吾妻小富士&一切経山のもつ山の連なりも優雅ですが、磐梯山の裾野を含む雄大な景色が眼前に広がるさまも、その迫力に圧倒されそうな力強さを感じます。
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■久方ぶりに見る鶴ヶ城。
江戸時代の寛永20年(1643年)に会津松平家の藩祖保科正之が入場し、9代藩主松平容保(かたもり)までの226年間、会津藩の居城そして徳川時代の奥州支配の拠点となりました。
ただ、鶴ヶ城が歴史上最も注目を集めたのが、明治元年に起きた新政府軍との戦い「戊辰戦争」による数々の悲劇(鶴ヶ城は約1ヵ月の籠城戦)であります。
NHK大河ドラマ「八重の桜」で涙した郷里の方も多かったのではないでしょうか...
私も、鶴ヶ城・西郷頼母(たのも)の妻子21人が自害した場面が再現されている「会津武家屋敷」・会津白虎隊最期の地「飯盛山」など歴史上重要といわれる史跡は若かれし頃に一巡しているのですが、その時感じた思いが未だに脳裏に焼き付き、再訪する度に会津の悲劇に胸が痛みます。
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■鶴ヶ城の天守閣から見た磐梯山方面。
天守閣からは360度方向にパノラマで見渡せ、会津若松が盆地である所以が判りますよ。
市街地や周囲に田畑が広がり、周囲を山々が囲んでいます。
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■戊辰戦争時に新政府軍が大砲を配置して
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■天守閣から瓦を写してみました。赤瓦といった色合いがわかりますかね。
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■会津武家屋敷に車を駐車し、東山温泉方面に5分程度歩いた左側の山斜面に広がる会津藩主松平家墓所院内御廟です。墓所入口から階段や斜面を登ること、徒歩約40分で9代藩主松平容保(かたもり)の墓前に到着します。この写真は手前から7代・6代・5代・3代藩主と続きます。

国史跡の「会津藩主松平家墓所院内御廟(いんないごびょう)」
江戸時代大名家墓所のなかでも優れたものであり、史跡に指定して保存されている(S62年)。
初代会津藩主正之は明暦3(1657年)子の正頼が亡くなるとこの地院内山の地を墓所と定めた。その後正之は現在の猪苗代町字見〇山に葬られており、この院内山とあわせて「会津藩主松平家墓所」として国史跡に指定されている。また、2代藩主正経が仏式の他はすべて神式によって葬られており、規模の大きさ・歴史的宗教的景観は神式による江戸時代大名家墓所のなかでも優れたものである。
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■神獣が台座となっている「亀ふ坐(きふざ)」、全て亀の頭がお墓の方を向いています。
守り神なのかな?子供達曰く、牛なのか?亀なのか?こおらにも見えるし、顔は牛だし、しっぽはないし...
でも、正解は亀のようです(笑)。
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■ 9代藩主松平容保(かたもり)の墓前です。
亀ふ坐(きふざ)の後姿にシッポはありません。やはり亀ですね。
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■こちらは老中西郷頼母(たのも)がお城に登城したのち、頼母の妻子他が足手まといになることを恐れ自害した悲劇の女性達21人のお墓です。お寺の片隅に会津藩士達のお墓と一緒にひっそりと佇んでいます。
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by fftmk759 | 2015-03-31 16:13 | 地方巡礼

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