2013年 08月 02日
小名浜港1号埠頭の今
■震災直後の小名浜1号埠頭の様子です。
津波の影響で水産関連の倉庫などが完全に破壊されてしまいました。
特に1号埠頭の先端にあった古い倉庫は、さまざまな瓦礫や車が海水と一緒に入り込み、建
物自体はあたかも空襲を受けた後のように骨組みが無残な姿を露呈していました。
道路はアスファルト舗装が剥がされ、埠頭を作るときに埋立てたであろう砂が液状化現象で
地表に噴出していました。
■そして2年以上が経過した今。
無残な倉庫の姿は寂しくも取り払われ、野更地となって辺り一面を見通す風景に変わっていま
す。
魚市場がこちらに移設してくるとの噂を聞きました...
また、震災前には直売所と海鮮レストランで賑わっていた「さすいち」も交差点カドに場所を移
動して、2年ぶりに再開する気配を見せています。
アクアマリンやいわきララミュウなどの観光施設に湯本ICから繋ぐ幹線道路も急ピッチで片側
2車線の4車線化工事が進んでいました。
年間100万人以上が訪れる湯本IC近くの「スパリゾートハワイアンズ」を核としながら、他の観
光資源にも観光客を巡回させる狙いのようですが、その戦略通りに人・金が復興を後押しして
いくことを願ってやみません。
20数年をいわきで暮らした私としては、復興は急ピッチで進んでもらいたいのですが、頭の片
隅に残っている昭和の街並み・景色・思い出はいつまでも不変であるため、その面影を感じと
れるものが少しでも残り、帰省した際には遥か遠くの思い出に浸りたいものです。
■こののぼりはもしや「サンマ!?」(アクアマリン駐車場にて)
津波の影響で水産関連の倉庫などが完全に破壊されてしまいました。
特に1号埠頭の先端にあった古い倉庫は、さまざまな瓦礫や車が海水と一緒に入り込み、建
物自体はあたかも空襲を受けた後のように骨組みが無残な姿を露呈していました。
道路はアスファルト舗装が剥がされ、埠頭を作るときに埋立てたであろう砂が液状化現象で
地表に噴出していました。
■そして2年以上が経過した今。
無残な倉庫の姿は寂しくも取り払われ、野更地となって辺り一面を見通す風景に変わっていま
す。
魚市場がこちらに移設してくるとの噂を聞きました...
また、震災前には直売所と海鮮レストランで賑わっていた「さすいち」も交差点カドに場所を移
動して、2年ぶりに再開する気配を見せています。
アクアマリンやいわきララミュウなどの観光施設に湯本ICから繋ぐ幹線道路も急ピッチで片側
2車線の4車線化工事が進んでいました。
年間100万人以上が訪れる湯本IC近くの「スパリゾートハワイアンズ」を核としながら、他の観
光資源にも観光客を巡回させる狙いのようですが、その戦略通りに人・金が復興を後押しして
いくことを願ってやみません。
20数年をいわきで暮らした私としては、復興は急ピッチで進んでもらいたいのですが、頭の片
隅に残っている昭和の街並み・景色・思い出はいつまでも不変であるため、その面影を感じと
れるものが少しでも残り、帰省した際には遥か遠くの思い出に浸りたいものです。
■こののぼりはもしや「サンマ!?」(アクアマリン駐車場にて)
by fftmk759
| 2013-08-02 21:09
| 東日本大震災(いわき市)